
ここ数年、アメリカのスティールチャレンジに関しての情報は専門誌に載ることもなく、僕も詳しく書くことはしてきませんでした。ただ、折角ですので、僕が経験したことが誰かの役に立つことがあるかもしれないと思い、JSCが数日前に開催されたこともあり、偶にはスティールチャレンジの話を書こうかと思い立ちました。一応、貴重な情報だと思うんですけどね。笑
2007年以降アメリカのスティールチャレンジでは、ある変化が起きました。それは、8ステージトータルタイムが80秒を切ると言う現象です。その年以降、優勝者はいつも同じ3人しかいません。マックス・ミッチェル、K.C・ヨセビオ、そして、B.J・ノリス。この3人だけが2007年以降優勝カップを手にしているのです。マックスは、2013年から昨年2015年の3年連続での優勝を達成。そして、2012年がK.C、2011年がBJ。ベスト3もBJが奥さんの出産で不参加だった2014年を除いて、彼ら以外に表彰台(ベスト3)に入ったシューターはいません。2011年より前の年もベスト3の顔ぶれはほぼ変わりません。2位にディビット・セビグニーが入ったぐらいでしょうか。今のスティールチャレンジはこの3人の誰かに勝てるか?と言うゲームになっているのです。彼ら3人が試合に参加すれば、それ以外の人は4位を争っていると言ってイイでしょう。これは、全米選手権でも同じと言えます。3人の上位は考えられない状況なのです。それも異次元の戦いを繰り広げているのがあの3人です。これを証明するかのように他のトップシューターたちは諦めてしまったのか、ここ数年は世界選手権や全米選手権に参加すらしなくなってしまいました。タッド・ジャレット、ジェリー・ミキュレック、JJ・ラカーザはもう姿を見せないのです。
これが今のスティールチャレンジの現実です。誰もあの3強に追いつけない…この空気がいつも漂っています。
この状況で日本人の中で優勝を目指して参加をしていたシューターも3人と僕は考えています。2004年の元世界チャンピオンであるマック堺選手、2010年のJSC覇者である島田士郎選手、そして僕自身です。実銃の試合への参加を始めたのは僕が一番遅く、それまで3強に勝てる可能性があった人物は、マック堺選手のみでしょう。しかし、その彼でさえも優勝後の2005年から2011年の間は4位が最高。3強の域を崩せることなく、それ以降はアメリカの試合からは引退されました。
そして、2009年から実銃への試合参加を始め2012年からアリゾナを拠点に参加を開始した島田選手。彼も2012年の全米選手権7位、2013年の世界選手権での6位を最高に3強へは勝てずにココまで来ています。正直、4位も6位も10位も15位も関係ないんですよね。今のスティールチャレンジでは、80秒を切るか、あるいはあの3強の内、誰か1人にでも勝つか?この2つ以外に成績としては価値に差はないと言ってよいでしょう…。
さて、ここで僕自身はどうか。
昨年11月に開始されたスティールチャレンジは僕にとって5回目の世界選手権への挑戦でした。もうJSCの出場回数をアメリカでの回数が上回ったのです。また3月に開催される全米選手権へも2012年からほぼ毎年挑戦し、そこでの回数も合わせるとスティールチャレンジのビックマッチは、年に2回撃っていることになり、あの3強へ挑戦した回数は8回となります。その8回の中で彼らに少しでも近かったことはあるのか?
一度もありません。
確かに数年前に全米選手権で3位の表彰台に上ることはありました。しかし、その時はBJが不在。タイムも85秒や86秒。その価値が大したものではないことは、他でもない僕自身がよく分かっています。
日本人選手にしてもあの3人に近づいた人は誰もいないということです。
ところで、昨年は僕にとって大きな幸運がありました。それは、2つのスポンサーが付いたことです。銃に関しては日本でも有名なLIMCATカスタム。ジョニー氏が銃に関しては最高のサポートを提供してくれるようになりました。そして、弾頭に関してはBerry’sと言うメーカーが年間数万発の供給を約束してくれました。これは非常に大きかったです。アメリカに住んでいるからと言って、いつでも好きなだけ撃てると思ったら大間違い。弾代は、エアガンのそれとは比べ物になりません。そう言ったこともあり、僕のスティールチャレンジの練習で撃った弾数は、貯金を使い果たして臨んだ2011年がピークであり、それ以降は、毎年の試合前に撃っている弾数は、日本から挑戦している島田選手や日本人として日本在住では唯一のUSPSAマスターシューターである平野選手と大きな差はありませんでした。彼らは短期間で集中して撃っていましたが、僕は同じ数をそれより少し長い期間で消費してきた感じですね。
いずれにしても、そのBerry’sのサポートにより昨年の世界選手権前の練習では2011年以来、最も多くの弾数を撃つことが出来ました。そして、カナダ人の練習パートナーのフランクが居たことで『日本式の練習』を取り入れることができました。『日本式の練習』とは、毎回8ステージを組み、コールドを計測し、その後にステージ練習を行うと言うものです。カナダ人のフランクは8ステージのターゲットを全て所有しており、2人でレンジの地面にスタンドの位置をバミって試合の10日前ぐらいからほぼ毎日練習をすることが出来ました。
え?その練習って、普通のことじゃないの?と思われるかもしれませんが、全米探してもスティールチャレンジの8ステージが常設されていたレンジは、かつてのマリポサやISIレンジくらいです。それらのレンジは今では別の試合開催用にターゲットは組み替えられてしまい、2016年現在8ステージが常設されたレンジは全米にあるのでしょうか…。そう、普通はスティールチャレンジ用の正しいサイズのターゲットさえ、全て揃っていないレンジが大半なのです。僕のホームレンジのリオ・サラドさえも一般シューターがアクセス出来る練習用の機材倉庫に保管されているターゲットでは、スティールチャレンジのステージを組むことさえ出来ません。僕は自分一人でも各ステージを組めますが、それはマッチディレクター専用の機材倉庫へのアクセスを許されているからなのです。
実銃の試合へ向けて自分の理想とする練習環境を整えることは、想像の500倍は大変と言えます。
ま、ともかくも昨年は自分の理想とする練習メニューをこなすことが出来たわけです。練習でのタイムも80秒切りを何度も達成し、地元のローカルマッチでも81秒代や80秒代を記録。5の4を決めるクリーンな内容で、日本で培った経験と試合でのセオリーを実銃で再現出来るようになっていました。
遂に用意が整ったか!自分でもそう言えるようになってきました。
ターゲットを外さないクリーンなシューティング。5の4を決める。
この日本でスティールチャレンジでの理想とされる方程式であの3強に勝ちたい。その想いを胸にスティールチャレンジ世界選手権の新しい開催地であるサンルイスポオビスポへと出発しました。